ISIZE【JAZZ】「連載 天才アケタ流!」 ジャズはクラシックの歴史を再びくり返す!! |
第2回、ジャズの基本形式はモーツァルト!? 先回ご紹介したバッハのあと、大作曲家としてはヘンデル、ハイドンなどを経てモーツァルトが出現してきます。 モーツァルトに到達いたしますと、ドミソ、ファラドなど3度(ドが1度、レが2度、ミが3度と数えます。そしてミとソも3度の関係。この3度の組み合わせがコードの基本なのです)の和声(ハーモニー)がはっきりしてきます。バッハではメロディが優先し通奏低音の上に単旋律のメロディ同志がぶつかり合って音楽を作っていたのに対し、コード(和声=和音)が出てきてそのメロディを伴奏するようになり、しかも時にはメロディよりもコードが優先するという形態へと発展。となるとコードにはコード・パターンというコードの流れのクセというものが当然出てきます。こうなると現在のポピュラーとまったく同じです。このコード・パターンの理屈をコード・プログレッションと言い、クラシック的に言いかえれば和声学となると思います。 その基本は音楽をかじった人なら知ってる人も多いことと思いますが『ツーファイブ』と言って、2度マイナーセブン~5度セブン=IIm7~V7っつうのがあり、これはモーツァルトの頃から現在まで、いや将来も『ドレミファ~』という西洋音階の音楽である以上、まず絶対に変わることのない普遍基礎パターンなのです。だからツーファイブのおかげでモーツァルトの頃も今も同じようなメロディが横行するのです。 ツーファイブの説明の前に、当然その前にくるべきコードのごく基本があります。これは皆さま絶対ご存知で、例えばハ長調=C長調ならコードC(CEG)=I=トニック、コードG(GBDF)=V7=ドミナント・セブン、コードF(FAC)=VI=サブ・ドミナント。このI、V7、VIのコードはひとつの調(Key)が成立する基本なのです。そして前記のツーファイブのファイブとはV7のことで、このV7が成立するためにはIIm7がなくてはならないという必然的法則があるのです。ここいらが、コード(ハーモニー)が重要になってきたモーツァルトの頃からはっきり存在感を増してきたことだと思われます。その理由のひとつにIIm7がないと他の調へ転調しにくいのと、他の調へと転調するには露骨すぎると音楽が流れにくいので、IIm7という緩和剤を使うのです。ちょっと高度になってきましたネ! これはコード(=高度)だけに仕方ないのです! 真面目にやれっ、ガン! いてっ、んもー良心様たらー……。 ■コード譜■ ∥C|C|F|C|C|C|F |G/C| |G|G|F|C|C|C|F/C|G/C∥ ここにおけるGはV7で、本来はG7でなくてはなりませんが、セブンスのFの音(Gを1度として考えるとGABCDEFでFの音は7度=セブンス)を入れると小川の清らかなイメージが少しにごるので外してあります。これを隠れていると言います。となるとV7だからその前にIIm7もなくてはなりません。つまりDm7~G7~Cとならなくてはいけないのですが、これもメロディの流れ上、隠れているのです。本来なら5小節めからはC~C~F~Dm7/G7/Cとならなくてはいけないのですが、隠れてGのみになってるのです。 いきなり理論をいっぱい叩き込むとこのコーナー見る気なくなっちゃうと思うので、残りは次回にもう少し、ということで本題を説明いたしましょう。 コード・パターンというのはいつから始まったのかは知りませんが、ここではモーツァルトの頃としておきましょう。少なくともモーツァルトにおいてはメロディが、例えば『春の小川』のように16小節あったとしても、その16小節を1コーラスとしその16小節のメロディについてくる(伴奏している)コードに2コーラスめから別のメロディをつけていく。ジャズならそのコードにそって2コーラスめからアドリブしてゆく。これがモーツァルトにとってはヴァリエーション(変奏)であり、作曲の基本パターンなのでは、と僕は考えるわけです。 つまり、もとのメロディ(動機=モチーフ)を展開させてゆく一番手っ取りばやい確実な方法が、もとのメロディについているコードに新たなメロディ(アドリブ)をつけてゆくことなのです。そしてジャズの基本はまさにこれ。そしてクラシックのロマン派や印象派、現代音楽などよりもっともっと単純で初期であるこのモーツァルトにジャズの基本パターンは近いのだ!! つまりモーツァルトはジャズマンだったわけだ。 モーツァルトもバッハと同じく、録音文化がないので即興の良いところを譜面へと写し替えてったと思われます。そして交響曲の父・ハイドンによって確立されたと言われるソナタ形式などの様式観に、このヴァリエーション(変奏)が組み込まれるわけです。例えば3部形式なら、ABA'形式で『春の小川』を1コーラス、モチーフとしてそれについてるコードをもとに何コーラスか変奏(ジャズならアドリブ)されAが形成。そして別のメロディをモチーフに何コーラスか変奏されBが形成。そして再び『春の小川』をモチーフに何コーラスか変奏されA'が形成、……というようなことになるのでは。 ジャズは歴史的にはジャズの先駆者のひとり、サッチモことルイ・アームストロング(tp,vo;1900~1971)曰く「メロディは元の原メロディどおり吹かなくていいんだ。フェイクしちゃっても壊しちゃっても自由なんだ」などと作曲家を冒とくするような、その時代ではにっちもサッチモいかないことを提唱し始めてしまった。余談だがマイルス・デイヴィス(tp;1926~1991)なんかフェイクというより元のメロディ知らないんじゃないかなー? そしてサッチモ以降このモーツァルトと同じ前記の方式を芸術音楽として創始したのがモダン・ジャズの祖・チャーリー・パーカー(as;1920~1955)と言われています。つまり同じ『ドレミファ~』で、コードによるコーラスをくり返す変奏方法は楽譜文化ではモーツァルト、録音文化ではパーカー(あるいは先回紹介のバド・パウエル(p)と僕はしたい!)と、ジャズ(そしてロックも)はクラシックの歴史を再びくり返す!! ~つづく~ H11年 7月号 |