特集 いまが盛り 2002年1月19日(土)産経新聞生活面

明田川カヅさん(83)プロフィール

大正8年1月、新潟県生まれ。新潟県立高等女学校卒。21歳のとき、彫刻家で日本のオカリナの草分けともいえる明田川孝氏と結婚。
昭和33年、孝氏の死後、オカリナの研究所を法人化、その後「アケタ」の社長に就任。精度の高い楽器を量産化できるシステムを確立し、オカリナが一般的になる礎をつくる。
51年に会長。息子で社長の荘之氏とスープの冷めない距離に一人住まい。

いまが盛り 音色に命吹き込み43年 オカリナメーカー会長 明田川カズさん(83)

閉管楽器であるためか、オカリナは哀切を帯びてやさしい音色が心に染みる。夫の遺志をついでこの楽器を作り続けて四十三年、美しい音色にこだわり続けた甲斐あってか、いま、オカリナの人気が上昇中だ。
カヅさんとオカリナの縁は結婚を機に始まった。夫の故・明田川孝さんは東京美術学校(現・東京芸大)を卒業後、いまは彫刻界の大御所である佐藤忠良、舟越保武両氏とともに「新制作協会」を設立した彫刻家だった。
孝さんは、高校三年のとき日本で開かれたドイツ博でバスオカリナ(大きいオカリナ)を見てその形に触発され、さらに音にも興味を抱き、製作と演奏に携わった。
そんな孝さんとカヅさんは「顔も見ない結婚」だったが、カヅさんは粘土を水に浸し、たたくなどして自由に成型できる固さに地ごしらえする協力をかってでた。
オカリナの発祥の地はイタリアとされるが、外国製は半音や高音が出ないなど、質的に難色のあるものばかり。そんな中、孝さんは昭和二十五年に十二穴式で高さが調節できる画期的なオカリナの開発に成功した。
オカリナは特殊な粘土で形成し、乾燥させ、低い温度で素焼きする(テラコッタ)。閉管は一度閉じてしまうと内容積が変えられず、ピッチ(音)の高さの変動が効かない。収縮性のある粘土で焼き上がった状態が半音上がることを想定して作るのはまさに至難の業なのだ。孝さんが彫刻家で粘土の性質を熟知していたからこそ、その技法を可能にしたのだろう。

オカリナ製作と吹奏は並行して行われ、家には両方の弟子達が大勢集まり、にぎわった。
そんな中、三十三年、孝さんは四十九歳で死去。このとき、カヅさん三十九歳。小学生の一男一女を抱えて残された。夫の遺言は子供のことではなく、「オカリナをよろしく」。
カヅさんの八面六臂の奮闘が始まった。下宿屋を開業する一方で、午前三時までオカリナ製作をする毎日。朝は下宿している十数人の朝食作りで睡眠は毎日三、四時間。夫が売り込めなかった製品を事業化し、株式会社「アケタ」を設立。楽器の販売会社に売ってもらう算段もやってのけた。
「おやじが布石を敷き、それを極め、製品として価値を高めたのがおふくろです。僕が中学校時代にはオカリナで生活ができるようになっていました。おふくろがいなかったら、オカリナは絶滅していた」と現社長で息子の荘之さんが口を添えた。

日本でのオカリナ奏者と製作者はともに明田川さんがルーツだ。奏者で第一人者の宗次郎さんしかり、製作者も何らかの形で同社とかかわりをもつ。「主人の誠実な人柄とモノを研究する姿勢は、お金では代えられないものを残してくれました」とカヅさんは振り返る。
五十一年、社長を荘之さんに譲り、自らは会長に就任。この時も、カヅさんはまだ製作者の顔をもち続けた。
「手作りの部分が多いオカリナは穴の開け方がポイント。粘土は水モノなので集中力が必要です。年中、穴を大きくしたり小さくしたりの繰り返しをやっています」
最終工程は調律。音が生命のオカリナは、ここで音色のでき映えが悪いと、容赦なく割ってしまうのだ。
「調律の段階で合格点が出せるようなものを作りたいと集中するんですけど、なかなか・・・。でも、その挑戦も面白い」
粘土の感触が好き、というカヅさんは「オカリナ作りは私にとって最高の仕事、天職です」と話す。楽器全般に冬の時代といわれる中で、オカリナの動きは順調だ。オカリナ教室の展開も全国的になった。「三十台半ばの男の孫と腕相撲しても私の方が強いんですよ」
繁盛をつかみとった細腕は、いつしか太腕に変わっていったようだ。
          (森淳美)


topへ