明田川孝 オカリーナの足跡
明田川孝(1909−1958、彫刻家・音楽研究家)は、1909年新潟県北魚沼郡薮神村
(現・広神村)に生まれる。1922年上京、日大二中入学。中学1〜2年時ヨーロッパ製オ
カリーナを入手。高校3年時(当時の中学6年)東京でのドイツ博で見た黒いバス・オカリー
ナに彫刻家を目指す孝は形状的魅力を感じ、それと同じドイツ製の黒いバス・オカリーナを購
入、オカリーナ制作者になる決意を固めます。
1928年東京芸大彫刻科入学。同年よりオカリーナ制作を本格的に始める。閉管楽器である
ことと陶器製という原理ゆえにピッチ(音高)を変えることが出来ない、というオカリーナの
構造的疑問を解決するには音楽と美術の両方の知識が必要と考え、勉学と研究を重ねる。
そして12穴式オカリーナという現在一般化しているシステムを発明。その発明は正規の楽器
としてのオカリーナに不可欠なものであったわけで、1950年には特許を取得、特許は30
年間続く。
1958年腸閉塞のため49才の若さで死去。遺言は「オカリーナをよろしく!」であった。
孝の死後、妻・カヅ、お弟子さんである高橋美則(画家、国画会)氏、火山久(かやまひさし
、1997年死去)氏、中塚純二氏らが遺志であるオカリーナを継ぐ。
火山氏は1969年に独立、栃木にカマを持ち、名手・宗次郎氏や松本トシカズ氏ら多くのお
弟子さんが育つ。高橋氏、中塚氏は孝の工房・レル民族楽器研究所(のちのアケタ・オカリー
ナ)に残り、現在も現役。
途中、孝を師とするカマモトや、レル民族楽器の下請けとして参加した関東のカマモトなどが
現在、いくつかのオカリーナの中心ブランドとなっている他、多くの制作者や奏者が孝を出発
点として歩んでいる。また彫刻家としても志半ばであったが多くのすぐれた作品を残す。現在
、新潟県立近代美術館(長岡市)がその多くを所蔵、または寄託所蔵。1998年孝オカ
リーナ制作70周年没後40周年を記念してささやかな行事がいくつか行われた。
現在のアケタ・オカリーナ・オーナーは長男・荘之(しょうじ)氏(ジャズピアニスト、アケ
タの店・店主)。

孝の簡単な足跡からもわかっていただける通り、現在は孝から多くのメーカーへと枝分かれし
ており、また荘之氏と長らくオカリーナ演奏の研修を重ねてきた1人も優れたメーカーにな
っており、そして1人の方がいろんなメーカーのオカリーナを持っているというのが今は一般
的で、それら多くのことを含めて、まずはメーカーの枠を超えた全国的ネットワークに孝の名
を冠するのが良いと考えました。
しかしその仕切役は実はメーカーであるアケタ・オカリーナがやってるわけでして、なるだけ
メーカー枠を超えた客観的立場に立ちたいと考えており、お許し頂きたく思います。
そのためにもなるだけメーカーであるアケタからも離れ、孝の血縁ならお許し頂けるかとホー
ムページ制作者に孝の孫(荘之の長女)明田川歩、友の会の会長に明田川荘之という孝の血縁
であたり、名誉会長に中塚純二、他は役員を一切置かない、という客観性を喫した形をとろう
と考えております。
このホームページでは全国に多くあるオカリーナ組織への導き手程度の役割が精一杯かもしれ
ません。恐らく、ご質問ご相談などはお近くのオカリーナ組織(特別会員)とのやりとりとな
ることと思います。
あとは孝の時代からつちかってきたオカリーナの知識などは、毎月更新の連載などを通して楽
しんで頂けるよう考えております。
またオカリーナ普及のためにもメーカーどうしの相互連携も将来的に考えております。まだ全
てが未知の段階で、ただ旗揚げというものですが、どうか今後ともご協力のほどよろしくお願
い申し上げます。



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