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“天才アケタ”本人談

天才とその父の関係
 

 僕の名前はアケタガワショウジ、と読みます。読みづらいので昔から略して「アケタ」というのが僕の通称、愛称です。天才アケタとも時々呼ばれます。
 そこで売名行為に走り自分がオーナーの今の会社を株式会社アケタとしてしまい、その核を成すのが「アケタ・オカリーナ」。他にジャズを中心とするライヴハウス「アケタの店」を1974年以来やってます。またCDやLPレーベル「アケタズ・ディスク」というのを1975年以来やってて70ほど型番があります。どちらもジャズにおいては良い物を作るという点で他に負けないつもりで頑張ってきました。
 そうそう言うの遅れましたが僕の本職はジャズ・ピアニストなのです。まあ大々的に名乗るほどではないでしょう。何しろ僕はマルチ的人間でオカリーナの製作者でもあるわけで、最近では上記のジャズとオカリーナの境もなくなってきています。
 
 僕は1950年東京生まれ。立教大学軽音楽部卒。嘘々経済学部。
 オカリーナではジャズのアドリブもとるわけでLPやCDのリーダー作はこの前数えてみたらオカリーナのみのものも含めて何と40枚。トシとるわけだ。
 僕の最近の目立った活動としては国際交流基金の主催で1996年春約1カ月アフリカはジンバブエ・南ア・コートジボワール・セネガルをジャズのソロイストとして回ったことかな。その延長でこの前、あこがれの小淵外務大臣(現・総理大臣)のパーティーに招待され握手。その手をずっと洗わず、顔につけて寝た!
 
 僕の父でオカリーナの父とも呼ばれている故・明田川孝(1909〜1958)を紹介しましょう。
 僕のオヤジは彫刻家、音楽研究家で、1909年新潟県は小出の近く現在の広神村という所に生まれました。17才の時にドイツのバス・オカリーナを手に入れ、惚れ込みオカリーナ製作者になる決意をしましたが、音高(ピッチ)が確定できないという不満を持っていました。音高を確定し正規の楽器にする方法は世界中の音楽家や美術家が競って研究してたのです。そして孝は父・精一郎に内緒で1927年日大医学部へ行かず同大法学部へ入学し、と同時に二科研究所に学び1928年東京美術学校(現芸大)彫刻科へ一番の成績で入学してるわけです。
 ちなみに芸大へ行ったことで孝は精一郎から勘当されました。そして自分の独学の音楽修練と彫刻の、つまり音楽と美術の技術がドッキングしてはじめてピッチ確定法を発見したのです。ピッチ確定に必要な誰も気づかなかった落とし穴ともいうべき12穴式というアイデアを発見。その後その発想のもと弁証法的にオカリーナ製作研究へと没頭していきました。
 彫刻の一番原型は粘土でそれをテラコッタ(素焼)状に焼く、これはまさにオカリーナの作り方と同じで、12穴式発明状況においてこの彫刻の技術が不可欠だったのですね。そしてこれらの研究がオカリーナがポピュラーなものになるきっかけとなっていくわけです。

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