ホーム アケタの店 瓦版 オカリーナ リンク
アケタズ・ディスクの紹介 新譜のお知らせメタ花巻アケタズディスク ディスク購入方法 アケタズ・ディスク一覧 今月の名盤紹介

『アイ・ディデュント・ノウ・アバウト・ユー』 '87〜'88年作品
●AKETA'S DISK/PLATZ PLCP-63(AD-26CD)
"I Didn't Know About You" \2,913+tax

 

明田川荘之(p,ocarina,syn)、武田和命(ts)、米木康志 (b)、山崎弘一(b)、石渡明広(ds)、亀山賢一(ds)

 強力シンセサイザーに、炸裂するテナー!
 哀愁のアケタ、バラッドに涙で迫るタケダ!
 日本ジャズ界屈指のアケタ〜タケダ・ワールド!

 武田和命(ts)は89年8月18日に、食道ガンのため49歳の若さで帰らぬ人となった。僕の父、故明田川孝と同じ49歳。しかも8月(父は13日)の死。そしてなぜか顔もよく似ている。
 僕、明田川荘之は彼と86年6月に初共演して以来、僕のセッションに加わってもらい、北海道のツアーもこなした。そのうち10回ほどのライヴをアケタズ・ディスクで収録している。
 その中でCD収録曲の「アイ・ディドゥント・ノウ・アバウト・ユー」は89年10月フジTVで放映された武田氏の追悼番組とも言える『東京ジャズ症候群』に使われ、多くの人々の感動を呼んだもの。
 武田氏が亡くなってすぐ彼の音が聴きたいと思い、とにかく何でもいいとアットランダムに選んでいったテープがそのままここに作品となり、僕はこれを聴きながら涙が止めどもなく流れてしまった。それが僕にとっては一番の武田氏だった。彼が選ばせたのだ。CDの残りのテイク選びでは何人かの人たちにつき合ってもらい、選曲、選演でいろいろともめたうえにアルバムとしてのバランスも考え、今回はこの3テイクにしぼってみることになった。
 「エレクトリック・アケタ」に聴かれるシンセサイザーはローランド・パラフォニック505。詳しい人であれば思わず笑い出してしまうほど旧式のシンセだ。中古ものを格安にたたいて購入してきたものだが、下手をすると今のものよりも音がいい。当時はまだ買いたてで「僕はこれからキーボード奏者と呼ばれるんだ!」と燃えたぎっていた。と言っても出てきた音というもの、原理も分からず偶然に出てきたもの。武田氏も「オレもこれからはウェザー・リポートで行く!」と一緒に燃えた。
 3曲目「エアジン・ベイブリッジ・ロード」は僕の作品「エアジン・ラプソデー」のメロディを省き、コード・ワークとサウンドだけで勝負したもの。
 最後のソロ「リフレクション」はどうしても入れておきたかった僕のピアノ・ソロ。作曲者セロニアス・モンクが死んだ時にも“甦れ!”という意味をこめて盛んにこの曲が流れていた。それにあやかるわけではないが、ここでは武田が永遠に忘れられずに“甦り続けろ!”ということで演奏してみた。武田氏を代表に国安良夫、小田切一己、そして日本ジャズの逸材が世界のクラシックとして永遠に“甦れ!”という願掛けも含めてみた。このソロ演奏が武田氏の死後の演奏であれば格好がつくのだがそういうわけでもなく、ただ僕はそういうことにこだわっていないのだ。
 このソロの時、ジャズがただのお祭り騒ぎでさえあれば喜んでしまうという客がひとり。この夜のある内省的テイクを終えた途端、「アケタにしては最悪の演奏だ!」という罵声を客席から浴びせかけてきた。ステージを中断。僕はチャージの金をその客に投げつけ、「帰れ!」と怒鳴った。なんだか武田氏の魂が乗り移ったような激しく純粋な感情であったと思う。この次に現れた演奏は“甦り”、その武田氏を象徴するような感情とともに、終演近く、弦の1本が大きな音で激しくプツンと弾け切れた!

‥‥‥‥明田川荘之(ライナーノーツより)

エピソード:僕と武田氏は同じ荻窪在住で、非常に仲が良かった。
氏はあまりものを食べないから、1個30円のコープ・ラーメンを10個20個と運んであげたものである。そうしたら「もうコープ・ラーメンは飽きた! 次からシマダヤのうどんにしてくれ!」などと減らず口をたたいてくる、それが氏なのだ。
ある時「何でそんなに1日中寝てるの?」と尋ねると、「起きると動く。動くと喉が乾く。喉が乾いたら水道代がかかる‥‥」
なるほど。僕と武田氏の関係はやはりユーモア(そして涙)につつまれていた。


曲目

1.エレクトリック・アケタ
2.アイ・ディドゥント・ノウ・アバウト・ユー
3.エアジン・ベイブリッジ・ロード
4.リフレクション

録音
87年9月16日、88年4月2日、88年6月10日
「アケタの店」にてライヴ収録


演奏者プロフィール

武田和命ts:1939年11月14日、東京都蒲田出身。錦城高校卒業。伝説的テナー・サックス奏者。
金井英人グループ、福原彰グループを経て、64年に富樫雅彦クァルテットに加入。65年まで「ジャズ・ギャラリー8」などでプレイ、本田竹広、渡辺文男らと共演しハードな演奏で注目を浴びるようになる。66年の暮に行ったエルヴィン・ジョーンズとの「ピット・イン」セッションは今や伝説となっている。その後ジャズ・シーンから姿を消し、幻のテナー・マンと言われた。
78年からシーンに復帰。79からの4年間、山下洋輔グループに参加し欧州楽旅を経験。渋谷毅、坂田明、明田川荘之、大口純一郎のグループで、浮き沈みは激しいながら天才肌で迫力のサウンドを聴かせてくれた。1989年8月18日、食道ガンのため49歳の若さで昇天する。
 
リーダー作『ジェントル・ノベンバー』(オーマガトキ)
     『インフィニティ』(AKETA'S DISK) 他


アケタズ・ディスク アケタの店 瓦版 オカリーナ リンク

 
HOME PAGE