このCDのこと 渋谷毅
このCDのこととなるとどうしてもぼくと明田川荘之の関係を書いておきたくなる。
ぼくがいまジャズをつづけていられるのも明田川荘之のおかげである。というのは、1970年代の中頃だったか新宿安田生命ホールでなにかのコンサートがあって、そこに出演していた明田川のピアノを聴いたときからぼくの新たなジャズ人生が始まったともいえるのであって、ぼくにとって明田川は恩人、とても足を向けて寝ることなどできないのである。 そのとき明田川がどういう演奏をしていたかよく憶えていないのだけれど、おそらくいまのスタイルとそう違っていないと思う。ぼくは舞台の袖で聴いていて、本当に吃驚した。もとろん笑ったりもしたんだろうと思う。童謡かなにかを弾いていたかと思うと突然鍵盤を拳骨や肘で叩いたり、果てはドラムに駆け寄ってシンバルを叩いたりする。そういうことは既に山下洋輔で経験ずみだったはずなのに、それがまったく違って聴こえるのだ。簡単にいってしまえばめちゃくちゃである。いや、めちゃくちゃに聴こえたというのが本当のところだ。しかしそのめちゃくちゃのなんという面白さ。その頃のぼくは音楽の三要素といったものがちゃんとしたところにちゃんとした音楽が成り立つと本気で思っていた。テクニックもあればあるほどいいとも思っていた。そういう観念がどこかへいってしまった。そうか、それでいいのか。
これをいう度に明田川は「褒められているんだかけなされているんだかわからない」と嘆くのだけれど、これはすごく褒めているのです。
その頃ぼくはピアノを弾くのをやめていて、しかし、ジャズはすきだったからあっちこっち聴きに行くのはもちろん、六本木や青山で酔った勢いにまかせてピアノを弾いたりはしていた。しばらくやめているとピアノを弾くのがこわくなる。指も動かないしね。弾きたいという思いと弾きたくないという思いが交錯した。そういうときに聴いた明田川のピアノはまたピアノに向かわせる決定的事件になった。
ぼくの出歩くところはいつのまにか六本木、青山から中央沿線西荻窪方面へ変わった。もちろんアケタの店があるからだ。いつだったか「渋谷毅は六本木から飛んでくるし‥‥」などと明田川がいっていたのを微かに憶えている。
アケタの店では最初トリオでやっていた。その後クインテットでやったり、武田和命が入ったクワルテットでやったりした。
この「 SHIBUYAN」はそのクワルテットでやっていた頃の録音で、ライブではなく、アケタの店のライブが始まるまでの数時間、十日以上も繰り返し繰り返し録音したものだ。というのは、録音というのは何回やっても緊張するもので、気の小さいぼくはそれにすぐ耐えられなくなってしまう。飲んでしまうわけです。録音担当の柴田さん、吉田さんには大変迷惑をかけた。
曲はいつもやっているもの、昔を思い出してやってみたもの、2曲のオリジナルという具合になった。オリジナルの愉快なタイトルは明田川につけてもらった。
明田川のユーモアというのはなんともいえないもので、そういうものと、彼のピアノ、姿形、アケタの店というのがいっしょになってぼくの明田川像というのが出来上がる。嬉しいというか頼もしいというか感謝というか尊敬というか、よくわからないけれどもともかくそんな感じで、それがずっと変わらずつづいて、ぼくはいまでもアケタの店でピアノを弾いている。
‥‥‥‥渋谷毅(ライナーノーツより)
曲目
1.ルナジリオ
2.オールド・フォークス
3.エストレリータ
4.マイ・ワン・アンド・オンリー・ラブ
5.ソリチュード
6.タリラリ・ブルース
7.ボディ・アンド・ソウル
8.ミステリオーソ
9.ジプシー・ラブソング
録音
82年2月23日、28日、6月26日、7月18日
「アケタの店」にて録音(ライブではありません)
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